「トカラ列島の亀さんと宇治群島」の巻

遠くに行けば大物が釣れそうな気がする。人の行かないところに行けば釣れそうな気がする。そう、釣り師という人種は単純なのです。

オレはもっと単純で、人の行かない遠くの離島に行けば大漁間違いないと信じ込んでいた。それが見事に打ち砕かれた釣行だった。


週間釣りサンデーでトカラがもてはやされていた昭和58年・大学3年の春、馬鹿で暇な学生が4人集まって「トカラ列島 中之島 大グレウハウハ遠征」を計画した。


トカラ列島は吐噶喇列島と書く。鹿児島の屋久島と奄美大島の間に連なる小さな島々。

北から口之島 中之島 臥蛇島(無人島)小臥蛇島(無人島)平島 諏訪之瀬島 悪石島 小島(無人島) 小宝島 宝島 上ノ根島(無人島)横当島(無人島)と続いている絶海の島々、日本の数少ない秘境である。


俺以外は、全員実家に帰省しているため集合は鹿児島に決定。アルバイトでためた金に毎月もらっていた奨学金を携えて、東京から陸路鹿児島へ。

新幹線(当時は博多まで)に釣具とイグロのクーラーを持ち込んだのはすこし恥ずかしかった。博多から在来線に乗り換えるときは好奇の目線が痛かった。

でもそんなことはお構いなし。目指すは一路「トカラ列島中之島!!!」


鹿児島到着後は村営の「十島会館」に投宿。 翌日、鹿児島谷山桟橋から村営船「十島丸」で向かう予定だった。ところが荒天のため翌日の船は欠航との連絡。

当然その夜は天文館に繰り出して大漁前祝い。

翌々日、天気晴朗なれど波高し・・・

翌々々日 天気晴朗慣れど浪高し・・・

そして鹿児島到着から4日めにやっと出航。


硫黄島と種子島の間を南下し、屋久島の西を通り抜け、最初の寄港地口之島に到着。艀(はしけ)で乗客と貨物をおろし、次は目的の中之島。


港に到着すると民宿のおじさんが迎えにきてくれていた。釣り道具一式を軽トラに積み込み、鹿児島で購入したオキアミを漁協の冷凍庫に預けた。

到着した第一印象は当時住んでいた東京都内とは正反対の「何も無い島」だった。伊豆の大島、利島、新島、式根島、神津島には頻繁に行っていた。小笠原も行ったし山形の飛島という離島にも行った。そのどこの島々よりも何もなかった。

中之島は人口200人程度だったと記憶している。

島では渡船を利用しての磯釣りを予定していたが、ここでも風に予定を大きく乱されてしまった。

温泉に入ったり、温泉に入ったり、温泉に入ったり・・・

港で釣りしたり、港で釣りしたり、港で釣りしたり、・・・

本土から島に住み着いた兄ちゃんと、野生の山羊を獲りに行ったり・・


ここでのまともな獲物は港でK崎が釣ったグレの50cmが唯一の獲物。

最大の出来事は、K崎が「超大物」を釣った一連のできごと。

唯一のグレを釣った数投後、K崎の「がま磯2号」が大きく弧を描いた。

でかい!! 「スパースポーツSS-850LBX」から糸が出される。

しかし、糸の出され方がおかしい。

ジーッ!! ジーッ!! ジーッ!! ジーッ!!

やっとの事で寄せてくると、大きなウミガメだった。

あの糸の出され方は、亀がヒレをめいっぱいの力で動かしたときに連動していたのだ。20分ほどの格闘で玉網に入れた。


ちょうどそのとき、民宿の親爺がスーパーカブで昼の弁当を届けにきた。玉網に入っている亀をみて「ええもんが釣れた」という意味の言葉を吐いて、勝手に亀をスーパーカブの荷台にくくりつけていた。

一同、唖然・呆然・愕然・・・

後ろ向きにくくられた亀は我々の方を見ていた。

亀の目が悲しそうだった。

スーパーカブが走り出した。

亀はひれをバタバタした。

4人の都会の兄ちゃんは何もできなかった。

浦島太郎にはなれなかった。


その晩の夕食は亀の刺身だった。当然、誰も箸を付けなかった。宿の爺と婆は怪訝そうな顔をして俺たちを見ていた。翌日、オレたちは1週間滞在した中之島を後にした。


錦江湾に入った十島丸のデッキでぼーっと桜島の噴煙を見ていた。噴煙のすぐ横の雲が亀そっくりの形をしていた。客室に入って、他の3人をデッキに連れ出した。全員が「亀の祟りだー」とはしゃぎながら叫んだ。そして亀を釣ったK崎を今後KAMEさんと呼ぶことを衆議一決した。

亀雲を見事に撮影した写真はしばらくは手元にあったのだが数度の引っ越しでどこかに行ってしまった。


亀の形の雲を横目にしながら、消化不良の釣行に何かでけりをつけなれば・・と協議した。

教員採用試験に合格し、予定が詰まっているS師は帰京する事になったが、残りの暇な3人組は串木野から1泊2日の日程で宇治群島に行くことにした。

鹿児島の桟橋到着後、串木野の渡船屋に電話を入れて出航を確認。西鹿児島から串木野まで特急で移動し港まではタクシーで移動。今度は1泊2日の宇治群島に思いを馳せる。

乗ったのは「カケアガリ」という西向きの磯。53cmの尾長グレを釣って一応の成果はあった。

その後、串木野から博多を経由して東京巣鴨のアパートまで帰ってきたわけだが、なぜか宇治の記憶は薄い。

34年ほど前の、2週間近い釣行の記憶のほとんどが亀事件で占められている。

岩手釜石 晴釣雨読

2016年5月末に釜石移住。 慣れない単身赴任の生活と三陸の海釣りと鮎釣りを中心としたぐーたら親父のブログです。

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